ひさびさの竹中直人監督作品。
渋谷で観ました。けれんみのない小品という感じでよかった。
竹中直人もそうだけど、比較的多くの監督は、作品を重ねるごとに内容や表現がシンプルに、悪く言えば単純になっていくのかなあ。肩の力が抜けていくというか、自分の表現したいことが分かっているというか。そんな変化に対して親しみや安心を感じつつも、どこか寂しい印象を持ってしまう。
自分ごとでなんなんですが、俺が映画を観ていて一番引き込まれる時というのは、あまりにたくさんのことが重なりあって、もはや収拾がつかず、混沌として時間の感覚もあいまいな真空状態の中で、シーンだけが進んでいるという状況なのだと思う。
「許されざる者」の最後の銃撃シーンだったり
「生きる」の志村喬と誕生日の娘さんが階段ですれ違うシーンだったり
「ダウン・バイ・ロー」の最後のダンスシーンだったり
「地獄の黙示録」の最後の爆撃シーンだったり
蓮実重彦が何かの本の中でこんなことを書いていた。映画が映画を越える瞬間というものがあって、それは野球場で打者がボールを打って、飛んでいく打球に合わせてフィールドの中の選手が一斉に各々の動きを開始して、その光景を観客が固唾を呑んで見ている瞬間に似ているのだ。
俺もこういう感じを映画に求めている気がする。つまりもはや作り手側すらもその場面をコントロールできず、ただシーンがあるという光景。
なにか非常に伝わりにくい事を書いている気がしますが、俺もまだまだ映画好きだぜ。
同感です。
「マグノリア」の例のラストは、そういう意味で好きです。
映像表現が簡単に意味内容に追いついているようでは、なんだかおもしろくなくて、表現が追いついてなくて、それでも必死になにかを伝えようとしている感じ。そしてそれを懸命に読み取ろうとする楽しさ。
わかるよ。
おおー
初登場だね。君がこのブログの見ているのか実は木になっていたよ。