幸せの黄色いハンカチ

最近テレビでやっていましたね。
久しぶりに観てしまった。多分高校生以来。

記憶の中では、いい映画だなぁという印象が残っていて、もちろんあらすじは覚えていて、最後のハンカチのシーンも結構鮮明に覚えていたのだけど、最後のシーンで涙してしまった。というのも、今回の鑑賞で新しい発見があったからです。

実は劇中の高倉健って、どうしようもない奴だったんだね。健さんは殺人を犯して刑務所に入っていたんだけど、僕の中ではその殺人っていうのはやむにやまれるものだったと思っていた。たとえば正当防衛とか、理不尽なものに対する復讐だったりとか。でも実は殺人の理由って、ただ単にブチ切れて、勢いまって殺しちゃったというものだった。
殺人が「やむにやまれるもの」で、獄中の健さんは奥さんの幸せを考えて離婚を申し出るという、男の美談を自分の記憶の中で勝手に作り上げていたのだけど、実はそうではなくて、健さんは「やくざな性分」に生まれてついて、そのことに悩み苦しむ、愚かな人だった。獄中から健さんがぶっきらぼうに離婚を申し出たとき、奥さんの賠償美津子は、「あんたって本当に勝手な人だねえ」としくしく涙を流す。

そうすると、最後の黄色いハンカチの意味が全然違ってきて、前者での意味は大げさにいうと「普遍の愛」ですよね。まっすぐに自分の信念を貫く男への毅然とした愛。でも実はそうではなくて、あのハンカチの意味は「救い」とか「許し」なんだと思いました。ただ、奥さんが健さんを救ったり、許したというわけではない。奥さんもバツイチで、決して純粋無垢に生きてきたわけではない。人生に逡巡しながら生きている。それでも奥さんがハンカチを上げていたのは、人生の上で健さんを必要としているからだ。自分の存在価値をほとんど見失っていた健さんにとって、自分を必要としている人間がいるということが、彼の人生の救いだったのだと思う。

黄色いハンカチがはためくシーン。健さんがクルマから降りて家の方角を見ると、紐いっぱいに結んだハンカチがはためいている。一枚ではなくていっぱいだ。それは奥さんの強い「意志」ではく、「希求」の現れだ。健さんは桃井かおりから促されるまでハンカチから目を離せない。そくされるままに二人に別れを告げて、家の方角に歩き出す健さん。クルマに乗り込み出発する桃井かおりと武田鉄也。
そこでシーンが終わると思うとそうではない。二人はクルマを停めて、家と家の間から健さんと奥さんの再会を眺める。ゆっくりと近づく健さん。奥さんはくたびれた服を着て洗濯物を干している。健さんの背中からのロングショット。奥さんが健さんに気づいたところでカットが変わる。横からのかなりのロングショット。二人の表情は見えない。向かい合う二人。数秒の静止のあと、洗濯物を顔に当てて、その場で泣き出す奥さん。健さんはゆっくり近づき、奥さんの背中に手を当て、二人は家の中に入っていく。
健さんが服役中の4年半にも、奥さんには生活という時間が流れていたのだ。そして家の中に入っていく二人もまた、生活の中に入っていくのだ。

この、シーンの後半部分が僕には発見でした。

2 Responses to 幸せの黄色いハンカチ

  1. ノリカ より:

    アタシにとっては武田鉄也によって初めて
    「男」を意識させられた映画でした。健さん
    も美津子も吹っ飛ばして。

    そのせいか未だに金八なんて…と思ってし
    まいます。恐ろしく根深い映画の役のイメ
    ージ。金八の涙なんて全く響かないわ。

  2. soyokaze より:

    深い話だ。
    逆に俺は若い頃の桃井かおりっていいなぁと思いました。

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