Somewhere

皆さんは観ましたか?
僕は先週の日曜日に渋谷シネクイントのレイトショーで観ました。
なんだか久しぶりに感想を書きたくなる映画でした。
大学の同級生の皆さんは、学生のころ、よかった映画を観るとすぐにその話をしたくって、
周りの人に「ねえねえあれ観た?」って、話しかける感じに心当たりがあると思いますが、
今そんな心境です。

ということで、つらつらと感想を書いてみます。

以下、少しネタバレ含みます。
  
  
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よくできた映画にはカット1つ1つに意味があって、それは一見、単体では不可解なものなのだけど、
それらを俯瞰でみたとき、それぞれがつながりあい、作用しあって、重層的な意味や情感を作り出す。
というようなことを、映画の勉強をすると教わるけど、「Somewhere」は、そんな映画でした。

現代では、そんな映画の作り方は、もはやはやらないのかもしれないけれど、
監督のソフィア・コッポラは、そういう意味ではやっぱりコッポラやその時代の映画から、
多くのものを受け継いでいるのだろうなと感じました。

映画は、ソフィア・コッポラの映画の中でもいちばん、単調なカットが多い映画かもしれないです。
あとストーリーも、「ロスト・イン・トランスレーション」と同じぐらい、劇的なことはなにも起きない。

なのだけど、いつの間にか、主人公のジョニー・マルコと、娘のクレアに気持ちを寄せて、
スクリーンを観ていました。
それは、彼の怠惰で無為な日常が、やたらと自分に重なるっていう個人的な理由もあると思うけど(笑)、
ソフィア・コッポラのマジックのようなものにかかっているようにも思えます。

ファーストシーン。
荒野にあるアスファルトのサークルを、何度も周回する黒いスポーツカー。
カメラはフィックス。クルマが手前の道を画面の左から右に通過して、画面から見切れ、
奥の道を画面の右から左に通過してまた見切れて、の繰り返し。
観客が退屈するころにクルマが画面の正面で止まり、男がクルマから出てきて、
何もない景色を眺める。画面が暗転して「Somewhere」のタイトル。

これは、荒野を無意味に周回するクルマが、この男の現状を表すとともに、
「Somewhere」のタイトルが、彼の心境や彼の将来を暗示するカットだと、
言葉では説明できるのだと思うけど、そのカットのことを、映画を全部観終わった後に思い返すと、
なんだかそれ以上のことを感じるというか、映画体験として心が動くというか、
そんな気持ちになります。印象深い映画を観たときって、その映画を観た直後は、
なぜ印象深いのか頭で理解できなくて、自分でも不可解な感じだけが残るのだけど、
数日後に思い返して、「ああ、そういうことだったのか」といたく納得したり、DVDで見返したら、
いろんなことを発見して、一人深く感動したりすることがあると思いますが、この映画には、
そんな気配を感じました。まあ要するに「また観たい映画」ということですね。

ファーストシーンだけでなく、他にも単調なシーンや、些細なカット、些細なセリフ、
些細な仕草がいっぱいあって(というかそればっかりで)、いま思い返しても、
娘のクレオの仕草を思い返すと、グッと来たりします。

僕は、「ああそういえば俺は、こういう映画が好きだったなぁ」と、もはやおっさん以外の何物でもない
心境になってしまったのですが、よかった映画について話したい欲求は相変わらずなので、
観た人はぜひ、おっさんトークにお付き合いください。

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